ひとつ年下のかわいいやつだ。
いたってシンプル。余計なものは何もついていない。
エアコンももちろんついていないので夏場はタオル必携、高速でも窓全開。
「かわいいっ!今度一回乗せて。」なんていう女子は一度乗せると二度と乗りたがらない。
ボディ各部の錆や傷は隠すべくもなく、ちょっとした不調は引きもきらず、つい先日も運転席のシートの付け根が鉄板ごともげた。
だが、それを差し引いても、その「物としてのかわいらしさ」には代えがたい。板金屋の親父はいい人だった。
第一、自分ももし車だったらこれぐらいなんだろうと思ってしまうと冷たくするには忍びないのである。
人を見るかのように、アンプを積み込んでこれからライブ、とか、かわいこちゃんと初めてデート、とかいった肝心なときに限って「プスン」と言ったきり動か なくなったりするのだが。たまに臍を曲げるかわいい恋人、といったら言い過ぎか?言い過ぎだな、ちょっと。
30何年前に走るために作られた車が、未だに走るために存在している。
それが今までスクラップになることもなく俺の手元にたまたまやって来た。
多少機嫌が悪くても少し手をかけてやればけろっとして走り出す。
そしてたっぷりの季節感と、「いや~、懐かしいね」という見知らぬおじさんからの賞賛と、多少偏ったメカの知識を与えてくれるのである。
道具としての「モノ」との関係としてはなかなか悪くない。
そんな車に乗っていると「俺もこういうの好きなんだけどね。お金かかるでしょ。」やら「壊れたときに自分で直せないから。」と、言われることがある。
そうでもないですよ。それにあなた、現代の車が壊れても直せないでしょ。
などとは決して言わず「おぉ、よしよし。」とか「おぉい、しっかりしてくれよ。」などと独り言のようにつぶやきながらまた走り出すのだ。
白煙を上げながら。
古い車に乗るということは、そういう風に生きるってことだぜ。
そんなわけで、おそらく日本一錆止め塗料に詳しいブルーズマン・遠藤コージがお届けするこのコーナー。またしてもしばらくサボってしまいましたが、ほのかな反省と共に再開したいと思います。どうぞごひいきに。
2005.3.21.
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