2010/07/23

おまえに名前を付けてやる

 半日かけて書き上げた8月のスケジュール詳細は「エラーのため終了します」の一言を残し吹っ飛んだのでちょっと待っててください。

今日はBOOKWORMという、遠藤がかれこれ7年ばかし参加させてもらっている「言葉のイベント」があった。そこで気になる面白い話がいくつか出たの でメモ代わりに。詳細めいたものはBOOKWORMのレポートページで書くけど。

微妙に連携していく話の最初は、久々にBOOKWORMに、しかも子連れでやってきてくれたとある女性の詩人の方。養老孟司の「解剖教室へようこそ」の 紹介。名前を付けるということによって物事を分化、概念付けするという話。

続いてBOOKWORM初めの頃から参加してくれている小説を書いている女の子。人間の共通意識について。心理学の世界で「共意識」なんて事を言い出したのはユングだっけ?

次は僕と同い年の役者をしている男。今、世界中の役者と「バベルの塔」の芝居を作っている、と言う話。世界はかつてひとつの町で、人々は皆同じ言葉を話していたってアレね。

最後の登場人物はBOOKWORMのスタッフもやっている音楽家。昔、陰陽師たちは名前を付けることによって呪(しゅ)をかけた。と言う話。

ここまでが前置きで、ここからはよくここで書いてきた「世界や物との関わり方」と、遠藤的ブルース論の話。

「ブルース」とは抽象概念だ。 音楽のジャンル・形式で言えば「ここからここまではブルース」「ここからこっちは別の音楽」といった明確なボーダーはない。12小節の3コードで演奏され る音楽が全てブルースかというと決してそうではない。よく「魂の音楽」なんて言われ方をするが、CDショップの「ブルース」のコーナーにも魂の抜けたぺ らっぺらの音楽は並んでいるし、ジャズやロックばかりでなく日本をはじめとする世界中の民謡にも「ブルース的」なものは存在する。

「ブルースはただの音楽のじゃないんだ。」

多くのブルースマンと呼ばれている人たちが上のような発言をしている。これは「ブルースってのはすごい音楽なんだぜ」と言う手前味噌の自慢ではなくて、 「音楽それ自体だけを指す言葉ではない」という意味だ。

もともとは、おそらくアメリカの黒人達が、世界に満ち溢れている厄介ごとに対して「ブルース」と言う名前を付けた。たとえば女とうまくいかない事と、昼飯 で入った蕎麦屋の親父の愛想が悪いことには何のつながりもない。でもそれはどちらも自分をモヤモヤしたやり場のない嫌な気持ちを起こさせる。形もなくて、 なんだかよくわからないものに対して僕達はものすごく弱い。そこでそのモヤモヤについて「ブルース」と名前を付けて人や物のように扱うのだ。そいつの悪口 でも歌にして歌ってやればちょっとはいい気分だ。

世界と折り合いをつけて行く方法としてはなかなかいいアイデアだと思う。「そいつ」のことを知らない奴にその悪口ソングを歌っても「いい歌だね」ぐらいしか伝わらないだろうけど。

現に今でも僕の部屋の真中ではブルースがでかい顔をしてあぐらをかいている。
放っときゃいい。そのときが来るまで。
2005.7.31.

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